旧ホームページで会員だった方は、ユーザーIDに登録済みのメールアドレスを、パスワードに登録済みのパスワードを入力してログインしてください。
またお手数ではございますが、「パスワードを忘れました」機能よりパスワードの変更を強く推奨いたします。
会員の方で登録電話番号がハイフン無しの場合はお会計時にエラーになります。その場合は弊社までご連絡ください。電話番号を修正いたします。
 |
光食品株式会社 HIKARI FOOD Co.,Ltd
〒771-1347徳島県板野郡上板町高瀬字宮ノ本127番3号
TEL:088-637-6123
FAX:088-637-6166
E-mail:info@hikarishokuhin.co.jp
|

上板工場 |
会社沿革 |
昭和21年(1946年)4月
|
島田利雄が個人商店として創業
|
昭和24年(1949年)
|
低酸度濃厚(お好み焼き)ソースの開発
|
昭和26年(1951年)4月
|
株式会社に組織を改める(資本金30万円)
初代代表取締役に島田利雄就任
|
昭和32年(1957年)
|
本社及び工場を徳島市南田宮(現本社)に移転
|
昭和38年(1963年)8月
|
資本金180万円に増資
|
昭和39年(1964年)
|
創業以来18年合成添加物だらけの時代であったが、良い食品を作り社会に貢献することを社是とする我が社は、超特急新幹線ひかり号の開通にちなんで、合成添加物を一切使わない「超特級ヒカリソース」を製造発売
|
昭和51年(1976年)8月
|
資本金480万円に増資
|
昭和52年(1977年)7月
|
日本で最初の有機野菜・果実から作ったウスターソースを製造発売
|
昭和52年(1977年)11月
|
資本金1,200万円に増資
|
昭和54年(1979年)1月
|
資本金1,920万円に増資
|
平成11年(1999年)6月
|
取締役会長に島田利雄就任
代表取締役に島田光雅就任
|
平成12年(2000年)2月
|
環境保全型工場を目指し工場を板野郡上板町に移転
|
平成12年(2000年)12月
|
有機JAS法に基づき有機農産物加工食品についての製造業者に認定
|
平成14年(2002年)6月
|
倉庫を増築
|
平成18年(2006年)1月
|
消石灰など一切食品添加物を使わない国内産有機黒糖蜜を発売
|
創業者 故 島田利雄氏 |
北海道で終戦を迎え、「徳島に帰ってこい」「徳島で商売したらええやないか」という親の手紙がひっきりなしに来ていました。復員後は商売をすることを考えていました。「忠孝一致」という教育が身に染みていた時代で、帰ることにしたのですが、最初は徳島で商売をすることは考えにくかったものです。大阪で100の努力が100の結果になるとしたら、徳島で100の努力をしても3~5の結果くらいしか出ないのではないか。徳島のような田舎で商売しても損ではないかと思っていました。でも、忠孝精神で「帰ろう」と決意しました。
当時インフレがすごかったので、新円が発行されましてね。大阪で新円に替えて、その札束を胸にしまい、徳島県小松島港に上陸しました。すると、札束がなくなっていましてね。落としたのかスられたのかわかりませんが、無一文になってしまいました。ハッハッハ。まあその時は「なんとかなるやろし、まあええか。」と思ってたんやけどね(笑)。
兵隊に行く前にソースの会社に勤めていましたので、ソース作りでやって行こうと思いました。ソースを作る場所の確保から始めなければいけません。徳島は空襲を受けて焼け野原でしたから。叔父が阿波商業銀行(現・阿波銀行)の小松島支店長をしていましてね、場所を紹介してくれました。イリコを煎る作業小屋の空き小屋で、50坪くらいの納屋のような建物にイリコ鍋がひとつ。寝る場所がないので、三畳くらいの小部屋を仕切って、そこで暮らし始めました。最初はイリコ鍋で高純度の統制塩ではない「ガリ塩」を作り、それを売ることから始めました。このころ、結婚しました。女房とふたり、三畳間での暮らしでした。塩商売で利益を出し、ソースの原料を揃えて、少しずつ作って行きました。当時のソースの原料は、塩も統制、砂糖も統制で手に入らず、ほとんどが代用品でした。醤油が統制だったくらいなので、ソースの需要はありました。
商売は順調に行き、昭和26年に「光食品株式会社」に組織変更しました。昭和32年に、田宮(光食品(株)本社所在地)に移ってきました。昭和37年(創業して17年くらい)には、売上も安定して「これで食べていけるな」と思いましてね、何か今までとは違うことをやろうと思いました。当時は普通だった添加物だらけのソースではない、品質の良い「超特級のソース」(=ヒカリソース)を作り始めたのがこの頃です。ちょうどこの頃、国鉄が新幹線の速いほうに「ひかり号」と名付けました。国鉄はウチをマネしたんじゃないかな?(笑)昭和39年、この頃出始めていた自然食品専門店に向けて「ヒカリソース」を卸していました。
ソース工業会の役員で、東京に毎月行っていました。せっかく東京に行っていたので、ついでに営業して販路を確保しました。昭和51年頃に「有機栽培」に注目していたのですが、有機栽培は大変な農法だということもあって、なかなか原料を提供してくれる農家がみつかりませんでした。そんな時、町をブラブラ歩いていたら、昔の戦友にばったり再会したんですよ。その戦友が多くの有機栽培農家を知っているので、紹介してくれるということになりましてね。それで有機栽培による原料を確保することができました。自然食品専門店からの要望もあり、無添加ソース作りに加えて、有機栽培原料を使用したソース作りへと展開することになりました。
「金儲け目的だけではない、何か社会に貢献できることがないか?」という思いでやってきました。展示会などで、ヒカリソースを展示していると、ソースそのものの「説得力」が他社製品とは比べ物にならないほどあるんですね。だから悪意ある同業者からは、「あんなものができるはずがない。ニセモノだ」などということも言われたりして、具体的にいろいろな圧力もありました。しかし結局、買って戴く方は良い商品を選ぶのです。私を邪魔する人たちは皆、自滅していきましたよ。バチがあたったかな。私の運が良かったともいえるかもしれませんね。商売をやる上での「信用」を得るためには、これでもか、これでもか、という姿勢。これが一番大事。今行った努力は後に必ず報われると思って行動することが大切です。
|